浮遊

海に浮かび雪に遊び岩にはりつく、ものづくり人間のまいにち

理解されない悲しさ  

1/31に群馬県の前武尊で雪崩事故があり、BCスキーをしていた男性一人が亡くなった。
http://mainichi.jp/articles/20160201/ddl/k10/040/017000c

日本雪崩ネットワークが調査した結果速報がこちら。
http://nadare.jp/2016/02/160131.html

ニュースによって差があったけど、表現の仕方に難ありの部分があり悔しかった。
スキー場コース外、と表現する媒体が少なからずあったからだ。
(スキーをやらない人にはとてもわかりにくいから仕方ないのかもしれないが。それにしても。)

ルール違反を犯し危険な行為をする輩だ、みたいに持って行きたいマスコミの意図はうんざり。

説明すると、

スキー場には仕切られたり設定されたりしてコースというものが存在する。
コース以外はどうなっているかというと、谷になっていたり樹林帯になっていたり。
雪崩の危険や勾配の関係で利用客には入れないようにしたりしている。
それがスキー場が管理しているエリアの中でのコース外。
とくに入られやすくかつ危険なコース外は「滑走禁止」と明記しているスキー場が多い。
最近報道番組などで、野沢温泉のコース外を滑る無法者スノーボーダーの映像なんかが流れるみたい。

対してスキー場管理区域外というものは、完全な山岳エリア。
ゴンドラやリフト、ロープウェイなどでアクセスする登山はここへつながる。

今回の雪崩事故があった場所もこの「管理区域外」。
遭難者はきちんと登山届を提出している。

一部マスコミはきっと、スキー場のリフトを使って管理区域外へ出たから「コース外」としたのだろう。
調査速報にも書いてあるけど夏山登山でリフト使うことだってあるだろうに。

品行方正な報道の方々は、
わざわざ危険な場所に出向いて事故を起こす迷惑な人間がどうしても許せないんだな。
スキー・スノーボードというのは娯楽要素が多いイメージの活動だからなおさらなんだろう。
野沢温泉の一部スノーボーダーと一緒にしてる気がする。
BCスキーは限界に挑戦していくことが出来る素晴らしい活動だと思っているんだけど。

こういう理解されない悲しさもどかしさ、っていうのは常に感じていて、
大雪の時に喜んで雪山に入っていく自分達を世間は冷ややかに見ているのだろう。
自分はそういった視線を感じることが他の趣味でもよくある。

・台風の接近の際に心待ちにしていたうねりが届いて、海に向かうとき。
・下地が悪い高さのあるボルダーに単独でとりつくこと。
・初登者の気分で行う残置無視のクライミング。

これらを好んで行う人ならば気持ちはわかるだろうと思う。
でも残念なことに、同じ仲間だと思っていた種類の人に非難されることがある。

冒険的な山をやる人に「なんで台風の時に海に行くの」って軽蔑の視線を向けられた時の気持ち。
その悲しみはとても深い。

そんなことを経験してから、何事にも先入観はなるべく持たないようにしようと心にきめた。
興味のない事柄に知識のないまま言及するのは暴力だ。

理解を得るには周囲を変えようとすることも必要だけど、まずは自分が変わること。そう思った。

category: 意見

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富士山遭難ヘリ救助裁判の件で  

2013年に富士山山頂付近で遭難があり、
救助に向かったヘリから一回は吊り上げられた遭難者が地面に落下し
結果として死亡した。
http://news.livedoor.com/article/detail/11056012/

そして最近、遺族が救助隊にミスがあったと
静岡市を相手に訴訟をおこしたというニュースが流れた。
そしてその訴訟をきっかけに、静岡市はヘリ救助には標高3200m以上へは出動させないと決めた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160127-00000001-withnews-l21

それについて、自分のツイッターのタイムラインで議論があり様々な意見を目にした。
感じ方は人によって違うのは当然だけれど、世論に違和感をずっと感じていた。
その違和感を救急医療に関係していてクライマーでもあるかたが的確な言葉で表現してくださった。
おかげで頭がすっきりクリアになり、同じように考えている方も少なからず存在することに安心した。
自分も自分なりに感じたことをここで記録しておこうと思う。

***************
山やクライミングは冒険要素が加わるととても充実する反面、
危険性が増し安全管理をシビアにしなければならない。

世の中持ち上げることには熱心だけれど、他人の失敗には厳しい風潮。
山についても同じ。
けれどもどんなはみだし者でも人間らしく生きる権利がある。
みんな、この社会に関係している限り周りに迷惑をかけて生きている、お互いさま。

限界に挑戦する行為は危険を伴うけれど、それこそ人間のすばらしさ。
それを危険だからとおさえつけることは、可能性を認めないことになり未来は暗いものになる。

失敗や思わぬアクシデントはつきもの、人類はそこから学んで進んできた。
最終防護壁が公的サービスであって、医療や福祉もおなじ。
いつ大病を患い働けなくなるかなんてわからない。
それを不摂生な生活をしたお前が悪いから助けないなんて言われたら?

私が一番危険だと思うのは、同じ山屋が軽率な行動して遭難した登山者に対し
「安全管理を怠ってみずから危険な場所に赴いたのだから、
命がけで助けに向かった救助隊がミスをしても文句言うな」
なんてことを言うこと。
安全管理を怠ったことと、救助隊がミスをしたことは別に考えなくてはならないのではないか。
高度を制限して助ける対象を絞るということに、自由な権利が奪われると感じるのだ。
軽率な行いや愚かな行為をする人も、等しく助ける責任が行政・国にはあるはず。

そういう輩は掬い上げなくてよいと言ってしまうことは、自らの立場をいずれ追い込むことにならないか。
遭難なんてほんのちょっとのキッカケでおこりうる。
想像力があれば、自分はそうならないとは絶対に言えない。
それを認めたら「クライミングなんて危険な事は禁止」とそのうち言われてしまう。
国や行政がひとつ自由を奪い始めたら、次から次へ止まらなくなる危険があるんじゃないのか。

最終防護壁として救助隊や公共のサービスが存在するからこそ
私達は安心して挑戦が出来るし、穏やかに生活することが出来る。
人間らしく生きる権利は誰にでもあるはずだ。

誰であっても、人が冒険に向かう権利を奪うことは出来ないと思いたい。

category: 意見

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岩場でのタバコ  

先日の小川山で、たくさんのボルダラーが集まる林の中で思ったこと。

私はタバコはやらないけど、吸うことは否定しない。
むしろ気分転換には最適だと思うし、ヒートアップしすぎた時などに冷静さを取り戻せる手段だと思ってる。

だけどマナーに無頓着な喫煙者だけは嫌だ。

吸い殻を岩場に残していくなんて考えられないし、クライマーにそんな人いるなんて思いたくない。
でも、吸い殻が落ちているのを拾ったことがある。なんだか情けなかった。

*************

先週は混み合うクジラ岩周辺でアップすることになった。
スパイヤーで課題と対面していた時のこと。

ムーブをどうするか岩をじっと見ていたら、背中側すぐ近くからタバコの臭いがしてきた。
『えっ』って思って振り返ったら、後ろで煙を吐き出してこちらを見学している女性。
一緒にトライしてた若者の知り合いらしい。

さすがに吸い殻はきちんと携帯灰皿に入れていたけれど(当たり前か)。

でも私はその行為に少し腹がたった。

アナタ、ジムでボルダー壁に取り付いてる友達のすぐ後ろでそれやりますか?
外だからいいの?開放感で感覚が鈍ってるの?

今やジムでは喫煙スペースが必ず用意され、登る人が煙を吸うことがないようになっている。
外はそれがないのだから、余計に考えなければならないと思うのだけれど。

よくよく観察していると、誰もいない場所でタバコを吸って戻ってきたらしき男性は結構見かける。
でもこの日は女性クライマーの喫煙者が二人も岩の前で煙を吐き出しながら座っていた。

煙の行方を見ていると、取り付いてるクライマーに流れていく。

男だから女だから、って区別するのはすごく嫌だけど、そういうこと出来ちゃうのは男性ほど厳しく見られないからなのかな。

雨つづきの週末の貴重な晴れ間だったから、岩場には小さい子供を連れたクライマー夫婦もいた。
少し考えてもいいんじゃないのかな。

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これからいい季節になってくるのだし、ちょっとこの傾向は私には我慢ならない。
だって私自身タバコの煙が大嫌いなんだもの。

マナー守っている人がかわいそうだ。
お願いだから吸ってる人のイメージ悪くしないで欲しい。

category: 意見

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貧乏暇無し  

よく、色んなことやってるね、とか
多趣味だよね!とか言われたりする。

ブログからもわかるようにいくつもの趣味を私は持っている。

そのおかげで運動得意みたいなイメージを持たれることが多い。
でも逆。
いつかも日記に書いたことがあるけど。
私の持論は、運動得意な人は何をしてもいつ始めてもすぐに出来ちゃうから固執しない。
だからあっさり止めてひとつに絞ったりということが出来る。
私はそれが出来ない。

言うなら運動コンプレックスなのかもしれない。

いくつもの外遊びをしていることが自分にとってとても意味のあることになってきている。

多方面から自然のことについて理解を深められる実感があるし、
理解が深まるにつれ核心はどのジャンルも一緒だということが、円の周囲から真ん中に向かって焦点が絞られるようにハッキリとしてくる。
それがとても感慨深い。

そして、どの遊びにもそれ固有の他には得られない喜びを感じている。
私にはその喜びを捨てることが出来ない。ひとつに絞ることがマイナスなのだ。
もちろん一つのことを深く突き詰めることもとても魅力的なことだし、そこでしか見えない景色もあるだろうな。
でも私はそこまで深入り出来る技量も体力も能力もない。今のスタイルが落としどころなのだと思う。

自分なりの自然へのアプローチが、このいくつかの趣味を持つことなのだ。

category: 意見

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陸サーフィン  


人工サーフィン施設ができるかもしれないそうです。

計画してるのは、オフシーズンにエアマットを使ってキッカーでエアー練習が出来る施設を経営する
KINGSグループ

なるほどねー。。。

クライミングが安全に室内でできるジムが乱立し
雪が無くても着地が安全なキッカーを飛べる。
こんなご時勢、こういう発想が出るのは自然な流れなのかも。

でも、違和感をとても強く感じる。
私は自然の中で遊ぶことに意味を見出している。
だから余計そう思うのかもしれないけれど。
潮の満ち引きにも左右されない、常に安定した形の同じ波に乗って果たして楽しいのか。

1日の中で刻々と変化する海。
うねりと風の向き・潮位・波高を見極めてその日一番自分がいいと思ったポイントで
入っているサーファーの数と雰囲気、そして優先順位をうまく見計らってやっと掴んだ波に乗る。
それが出来るようになってこそのライディングでしょう。
自然のなかで行う遊びってそうじゃないの?

ハイどうぞ、と波に押され始めた状態から始まるサーフィンなんて。
そこでサーフィンを始めて乗れるようになったとしたって、実際海行っても同じように乗らせてもらえないよ。
一生海には行かずそこで乗っているならいいんでしょうけど。

コンペに出る人が、波のある場所に都合でなかなか行けない時やイベント開催、
泳ぎに自信がないけどちょっとやってみたい人や一回体験してみたい人などにとっては需要があるのかも。

新しい試みはいつも叩かれるもの。
サーフィン業界から出てきたものではないからこそ、思い切りやれることもあるのかも。
全否定はしないよ。何か全く違う価値観が生まれるかも知れないからね。

でも、私はきらい。

category: 意見

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