浮遊

海に浮かび雪に遊び岩にはりつく、ものづくり人間のまいにち

振り返ってみる・その⑦  

私には心を開ける相手に依存してしまうというところがある。

警戒していると絶対に本音は言わないし、何かを頼むこともしない。
自分の性格のせいで打ち解けるまで時間がかかるのだ。

だけどその反動で、家族や身近な友人などには何かにつけて頼って迷惑をかけてしまうことも。

その悪い癖がクライミングやバックカントリーにおいて、パートナーに負担をかけてしまっていた。

あるとき、その負担が積もり積もって崩壊した。

私はひとり、途方にくれた。
なぜこんなことになってしまったんだろう。

「自立したい」
と思った。
ボルダーで骨折した時とは少し違った。
「安全に関して確固たる自信を持ちたい」という気持ちだった。
見返してやるという意味も少なからずあった。


誰かに依存することなく、自分で考え、判断し、迷いなく実行できるために
安全管理を徹底的に身につけなければ。
思いつく限りの方法を探しやってみた。

本を読む。
ひとりで出来ることをすこしづつ積み上げる。
経験者についていき学ぶ。
情報を集める。


5日間の雪崩講習へ参加を決めたのもこのことがあったから。
ミズガキや小川山、御岳、湯河原へ単独ボルダーに行くのもひとりに慣れるためだった。

映画や買い物、波乗りやジムなど普段の行動は単独がもともと多かったので
慣れるとひとりが自由で心地よくも感じるようになった。

バックカントリーでは、雪についての理解が深まり行動に自信が出てきた。
色々な仲間と様々な斜面を滑り、応用力がついてきた。

クライミングとスキーが充実すると、波乗りもなぜかずっと楽しくなる。

ただ、クライミングの安全管理だけは、自信がなかった。
それまでずっとやりたいと思っていたフリーマルチ。機会があまりなくやることができなかった。
これに関しては自力でなんとかなるとは思えなかった。
山岳会などに入っていない自分は、教えを請うような先輩もいないし
クライミングジムでルートをやらないのでビレイパートナーもルートをやる親しい仲間も居なかった。

そこで講習へ参加するようになった。
吉田さんのクラック初級スクールでは色々なクラックに触れた。
石田登山塾で基本となる様々なことを初めて学んだ。(今も卒業目指して継続中)
クラックの上達を共に目指す仲間が見つかった。

しかし、危険な目に遭ったりもした。
ひどい怪我をした。
同じ失敗を繰り返しもした。
そのたびに自信をなくしたし自分に失望した。
けれど自分の責任で行ったそれらの経験は私の血となっていく。

見返してやる、という気持ちはもうとっくに消えていた。
自分の意思で行動することの楽しさ、厳しさを知るとそんなことはちっぽけなことだと気づいた。


ようやくスタートに立てたという気持ちが芽生えた。
スタートに立てたということは、誰にも寄りかかることなく自分の足で立ち上がったということだ。
これからどんな一歩を踏み出すか。
また座り込んでしまうかもしれない。立つ気力を無くしてしまうかも知れない。

けれど、たぶん、私は生きている限り、自然の中で活動することをやめないと思う。

空の変化、雪の静けさ、岩の質量、海の色、大気の匂い。ぜーんぶ楽しみたい。

自然の中で「死ぬかも知れない」と思うことをしているときこそ生きている実感は沸く。
仲間と成功させる冒険の素晴らしさ。
ひとり岩と向かい合う時の純粋な気持ち。
海の上でほぐれていく心。
すべて自分に還って、再び力になる。


そしてこれまで出会った大切な仲間、これから出会う人たちを一生の宝物にしたい。

長くなりましたが、「振り返ってみる」の日記はひとまず終了です。
読んでくださった方々ありがとうございました。


******************

(番外編があるかもしれません)笑


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振り返ってみる・その⑥  

とあるSNSのつながりで、友達が山好きな滑り手を紹介してくれた。

はじめて自分達で春の至仏山へ滑りに行った。

そのときの仲間は山が皆大好きで、自分なんかよりずっと山の経験があって、
安心してパーティーを組んだ。

計画を綿密に立てて、装備や緊急時のこともしっかり話し合った。
そして当日はすばらしい一日になった。
成功させて自信がついたし、同じ志の仲間の素晴らしさを知った。

自分達で行きたい斜面を選び、登るラインを決め、プッシュし合って滑り降りる。
こんなに楽しいことはない。

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さらに仲間は増える。

以前、フリースキーのトレーニングの一環で、
競技用トランポリンでエアー練習をしていたことがある。

白馬のフリースキーゲートで知り合ったヨシ君に紹介してもらったのだ。
公共の体育館で、有志が集まって。
スキーヤー・スノーボーダー、競技トランポリンをしている人、エクササイズで来てる人。
ずいぶん体幹が鍛えられた。

そこで、ある出会いがあった。
それまで聞いたことない訛りで話す男性BCスキーヤー、T氏。
この人がめちゃくちゃスゲー奴だった(笑)

白馬の山が大好きで、スキーオタク。
たくさんのことを彼から学んだ。
経験の少ない友人に楽しんでもらえるように、
気持ちのよい栂池天狗原で自炊してご飯を食べるという、なんとも素敵なツアーをしたり。
おかげですっかり打ち解け、仲間を紹介し合い輪が広がっていく。

その後、皆で無線の免許を取り、行動がしやすくなった。

そろって攻める滑りをする人ばかりで、それからというもの貪欲に様々なラインに挑戦していった。
刺激的だった。

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刺激は刺激を呼び、普通の行程では物足りなくなっていったのである。

あるとき、五竜のムラオネの開けた急斜面で私達は雪崩を引き起こした。
伝播して破断する雪。
本当にぞっとした。

幸い誰も埋没せず、怪我もなく、装備がなくなったりもしなかった。
でも規模としては深刻なことになってもおかしくないくらいのものだった。

雪崩はいくら気をつけていても、絶対に避けられるということはない。
不確定な要素がほとんどを占めるからだ。

私は少しでもそれを減らしたい、と思うようになった。

そしてそのうち攻める仲間についていくことが出来なくなっても、
雪のことを学んで自分が出来る範囲で力になりたい。と。

それもあって、昨シーズンJANのアドバンスセーフティーキャンプを受講したのだ。
親しんだ白馬のフィールドで5日間の講習。
講師の方は尊敬する女性ガイドの林チカコさんだった。

無理をして受けて本当に良かったと思う。
理解したからというより、やっとスタートに立てたような気がしたから。

それまでは雪のことに関してなんとなくわかったつもりだったのだ。
あいまいだったり、勘違いして覚えていたり。

こんな自分がプロのガイドさんの報告に混じって情報を上げるなんて、と思ったけれど
どんなにわずかでも観察結果は多いほうがいいはず、
山に入る人の助けになるならば頑張ってみよう、
と、雪の掲示板の投稿をすることにした。

そうはいったもののかなりのプレッシャーだった。
でもそういった目を持って行動するようになるので、雪を見る力が次第についていくのがわかった。
まだまだではあるけれど。

そして、さらに体力があって攻めるのが好きな仲間が増える。
厳冬期小蓮華の逆Yを行って顔に凍傷を作ったり、誰もいない3月末の大雪渓を滑ったりした。

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ずっとハードで行くことに自分の力量と精神力が追いつかないと感じることもあった。

そんな時、安全・マイペースに粉雪を求めるN君たちと出会う。
週末をいかに楽しむかということを貫く彼らに、今までと違った価値観を教わった。
夜の飲み会でお酒がこんなに楽しいと思ったのも久々だった^^

自然の中で遊ぶその形は様々であっていい。
そんなことを思うようになった。

続く

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振り返ってみる・その⑤  

外遊びの危険。


私達には、「自分が今、命の危険にさらされている」という感覚はほとんどない。
世の中は秩序が保たれ、治安がよく、何かにつけて多方面から守られている。

なので、命を落とすかもしれない、ということ対してとても疎くなっている。

外遊び・自然の中での活動ではそれを強く意識することが必要だ。
要は危険な匂いをかぎつける感覚を研ぎ澄ますこと。

でも普段意識していないことをいざとなって出来るか。なかなか難しい。
大昔、人間はおそらくそれだけを感じながら生きていたはずなのに。

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小川山でボルダーしていて落ちてかかとを骨折した時、
自分は危険を察知する感覚に欠けていた。

くじら岩の裏面、名前のない6級。途中までは手も足もいい。
自分は周りのクライマーに下からホールドを指示されて、
そのとおりにしたらかなり上まで登れてしまった。
ノール状になっている上部はのっぺりしていて取っ掛かりがなかった。
乗り越すには手のひらのフリクションと、思い切りが必要だった。
(もしかしたらもっと方法があったかもしれないが)
経験を積んでもいなかった私が、突破する能力もなしにそこまで登ってしまったのだ。
まさに木に登って下りれなくなった猫みたいになった。
クライムダウンすることも出来ず、飛び降りるには高すぎる。
そのうち手が汗で濡れてきて、ガクガクしていた足がスリップし、落下。
高さ3.5~4mくらいあっただろうか?
着地時に片足がマットから外れ、足から落ちたので踵を強打。経験したことのない痛みだった。

青ざめて冷や汗が出て、明らかにおかしかった。
周囲のクライマー総出で担いでもらって駐車場まで出て、車で佐久の病院まで。
自分のジムニーはマニュアルだったし、パートナーにはものすごく迷惑をかけた。
診断の結果は、ヒビがくっきり。
そしてレントゲンでは見れないがクシャっと踵内部の骨が少しつぶれたようだった。

不便な松葉杖生活。トイレも大変で泣きたくなった。
そしてその時ことを思い出し、考えをめぐらせた。

自分はジムである程度登れるようになっていたから、岩場でも登れるだろうと思っていた。
しかし同じように考えることが愚かで、間違っていたのだ。

自然の中でのクライミングは
「いま、自分はどういう状況なのか」
「そこにどんな危険があるのか」
「一手進めることによって自分はどうなるのか」

などをちゃんと把握していないと、それこそ命を落とす。
管理されているジムとはわけが違うのだ。
甘かった。まったくもって甘かった。

当時スポットしてくれていた人たちは、私が怪我をしたことに責任を感じていたようだった。
でも、そもそもスポットになんでも頼るようでは一人前ではない。自立しているともいえない。

自立したクライマーになりたい、と強く思った。

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それはバックカントリーでの活動においても同じだった。

自分はゲレンデから飛び出したタイプの人間だったので、
山の知識や経験に乏しかった。
山屋の人間からしたら、普通は夏山から順に経験を積むもので、
私のような順序無視の行動はまさに無謀そのものに見えたことだろう。

ツアーで少しづつ経験を積んでいくと、これではダメだと身にしみてわかった。
ガイドなしのプライベートで山に入ることなんてとてもじゃないけど出来そうに思えなかったのだ。

何もかも、勉強だった。

地形図の折り方から、コンパスの使い方、地形の見方、レイヤリング。。。
その中でも雪のことは未知の恐怖だった。

積雪のことやBCでの行動を学ぶために日本雪崩ネットワークのセーフティキャンプに参加した。
たくさんのスキーヤー、ボーダーがいて刺激になった。

少しづつ雪山というものが見えてきた。

そして、その後かけがえのない仲間と出会うのだ。

*************
続く

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振り返ってみる・その④  

白馬で初めてバックカントリーを体験したところは、五竜。

ブルークリフでガイドをお願いし、その時はスノーボードだった。

スノーシューも初めて履いたし、ビーコンの扱いも同じ。
雪崩れに埋まるという危険を意識したのももちろん初めて。

そしてドロップポイントまでほんの30分しか登らなかったけど、当時の自分には大変だった。

滑ったのは今で言う通称「見返り坂」。12月のまだまだ藪がうるさい時期に。
ボードだったので藪を細かく避けるのにかなり苦労した。

「これはそう簡単なものじゃないぞ。」
と感じたのだった。

その頃は今の仕事の準備中で、スクールへはこま切れに泊まりに行って手伝っていた。
合間に時間があれば、ジムニーで移動しまくってみなかみや白馬へツアーに参加した。
同時にフリースキーも楽しかったので、主に白馬のスクールに行ってキッカー飛んだりしてた。

お金はフリーターの自分には大変だった。
交通費にガソリン代、ガイド料にフリースキースクール費用。
バックカントリーの装備は二の次になり、ほとんどをレンタルしていた。
自分の考えでは、とにかく体験が先で、わかってきたら次第に揃えればいいと思っていた。

でも、フリースキーに夢中な人やバックカントリーしている人は
その頃の自分には考えられないほど道具や装備にみんなお金をかけていた。

そうか、これはお金に余裕がある人のいい趣味でもあるのか、とため息をついた。

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そして春が来て、滑りのオフシーズン。
ブルークリフではクライミングスクールを開催していた。

ガイドの滝本さんに誘われて、初めて松川ボルダーへ行った。
何がなんだかわからなかったし、登るためのムーブも身についていなかったので怖かった。
でも、あの緊張感は好きになった。
さらにルートクライミングをするために小川山のスクールにも参加した。
ボルダーと違ってムーブがシビアでないし、頑張れば登れるルートもあった。
自然の岩と向き合うことの楽しさは、バックカントリースキーや波乗りと一緒で、
自分の限界を自らの力で押し上げていくことであり、
自然の中で体を動かす心地よさは寸分違わずだった。

いっきにのめりこんだ。
地元でクライミングジムを探し、通い始める。

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波乗りは主に早朝、一年中やっていた。
携帯で波情報を見ることが出来るようになり、良い波に当たることが多くなった。
通い続けたおかげで、肩周りがたくましくなりパドルも様になり、
少しは上手く乗れるようになっていた。
ようやく波乗りの楽しさを味わえるようになって、充実していた。

自分では、波乗りはジョギングと同じような感じ。
生活の中で習慣にしていることのような。

だから休みの日に1日かけて遠くにサーフィンしに行くという感覚は薄かった。
寒くなっても、時間を短くして海に入った。
冬にいくら間が空いても、一ヶ月強くらい。
クリスマス寒気の波に乗ってから雪山へ行くこともあった。

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対してスキーとクライミングは遊べる場所が遠くで、休みはそちらを選択することになる。

パートナーが見つかり、外の岩へ行くことが多くなった。
ルートではなくボルダー中心になった。

が、外のボルダーで登るようになってすぐ、落ちて踵を骨折した。

そしてそのことが、外遊びの危険について深く考えることになるきっかけとなったのだ。

**************
つづく

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振り返ってみる・その③  

知り合いに頼まれて行ったスキースクールは、特殊だった。

とある一族が経営するちいさなスキー場。
スクールとパトロールは上の人が兼務。リフト係は地元の方。

修学旅行のためのゲレンデといってもいいほど、第一バーンが緩斜面で広大だった。

その代わり修学旅行のイントラはとてもやりやすかった。
宿舎もきれいでナイターはフリーで滑らせてもらった。

しかし、自分は基礎なんてやってきていなかったので、
研修で上の人に教えてもらうけれど出来なすぎて恥ずかしかった。
なんせスキーを意識的にずらしてスピードをコントロールすることは教わってこなかったのだから!
競技スキーではとにかく減速が禁物だった。
かといってカービングが上手かったとはとても言えない。
とにかく基礎をたたきこまれた。自分も新しいことを覚えることが楽しかった。

スキーをずらすことを覚えると、荒れた急斜面が滑れるようになった。
今までは整地でしか滑ってこなかったので荒れた未圧雪バーンなんて、頼まれても嫌だった。
それが、どこでも暴走せず安全に滑り降りることができるようになるなんて。
急に、それまでやってきたスキーがとても狭い世界のものだったことがわかったのだ。

なにより上の人がスキーもスノーボードも両方上手だったことに、衝撃を受けた。
いったいどっちが本職なのかわからないほど、器用に滑っていた。
さらに先輩の一人がフリースキー志向で、地形使って遊んだり、キッカーで飛んだりしていた。
それがあまりにも楽しそうだったので、つられて一緒に遊んだりした。
子供のようになってナイターでも真似して練習して転んだ。

どっさり雪が降ったときは、リフトの雪下ろしが終わって降り場を整地したら
上の人の計らいでノートラックを滑らせてもらえた。
最初は新雪なんて転がってまったく上手く滑ることができなかったけど、
雪まみれになることはとても新鮮で、楽しかった。
そして上手な先輩方が本当にイキイキとして、奇声とスプレーをあげて斜面に消えていくのを見て
これがスキーの楽しみ方なんだと思った。

すっかりそのスキー場が居心地よくなり、翌年から毎年のように篭って働いた。
あるとき、修学旅行のヘルプでいつも来ている地元のおじさん達が、
リフト小屋からちょっと入っていってコースの隣の山の中を滑って、
下で合流するという遊びに連れて行ってくれた。

それがすべてのはじまり。

降ったばかりの雪を踏みしめ、木々の中を避けるように滑る。
ところどころ注意しないと穴があったり。
降ったばかりの雪はもちろんどこまでもノートラック。
なんて自由。

「これが自分のやりたかったことだ!」
と、その夜興奮して眠りについたのを覚えている。

でも、どうしたらこういう遊びができるんだろう?
わからなかった。

丁度そのくらいの時期、スキージャーナルの付録に「ラストフロンティア」という冊子がついていた。
それにはなんと自分がやりたいことが「バックカントリー」というジャンルで
どう始めればいいかや道具などの説明とともに載っていた。
なんてタイミング!と穴が開きそうなくらいその冊子を読んだ。

そしてすぐさま、白馬やみなかみのガイドさんを頼って体験を予約したのだ。


続く 

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