浮遊

海に浮かび雪に遊び岩にはりつく、ものづくり人間のまいにち

年に一回の  

高校卒業以来、毎年5月末の日曜に集まってる。

部活の同期の同窓会。女だけ。
去年は江ノ島でシラスを食べたっけ。もう一年経つんだね。

産まれたばかりだと思ってた友人の子も歩いていて、二人目がもうすぐの人も。
子育ての話は入っていけないのがなんとも。。。
この歳でこれはまずいんじゃないかと思う反面、
大変そうだから自分はまだ…なんてしり込みしてしまう。

ぼちぼち梅が収穫時期だ。

category: 日々のこと

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土曜は海  

久しぶりに海に入れた。

最近潮が多いと辻堂はイマイチ。
多少混んでるのを我慢して鵠沼寄りに入る。

海は無心になれるからいい。

できればもう少し人がいなくてサイズがあったらよかったけど
贅沢は言わない。
パドル筋も落ちてるしね。。。

category: 波乗り

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アーユルチェア  

20090528115851
フランフランで頼んだ椅子が来た。
日本人に合わせて座りやすく腰が楽なようになってる。
長時間座ってもいいように作業場で使う予定。

category: お気に入り

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そして最後の日  

その日は仕事が終わって、ちょっと買い物をしてから病院へ向かった。
病室に入るとばあちゃんはひとりで頑張っていた。

いつもどおり耳元で「ばあちゃん、来たよ、」と話しかける。
そして足をさすってあげようと毛布をめくった。

指先が紫色になっていた。
紫というより黒だったかもしれない。
よく見るとふくらはぎまで色が変わっていた。
思わず声が出てしまった。酸素が十分体にまわっていないんだろう。
かわいそうに、とさすってあげたらばあちゃんの目がパッチリと開いた。
びっくりした。入院中こんなに大きく目を開けたところを見たことがなかった。
うれしかった。と同時にちょっと気になった。

いったん家に帰り昼間付き添っていた叔母に電話した。
状態が安定してるようなので泊まりはせず夕方帰ったのだそうだ。
叔母はこのところずっと付き添っていたし、気にかかったのもあるので
「今日は私が泊まるよ。」と言っておいた。

泊まる用意をし、9時に病院へ。
付添い用ベッドに横になりDVDを見たりして過ごした。

10時半頃、スッと看護師さんが入ってきた。ばあちゃんの様子を診ている。
離れたナースステーションで脈や心電図を見れるようになっているのだが、
どうもおかしいので見に来たようだ。「これは…ちょっと…」とか言っている。

「家族の方をお呼びしたほうがいいかもしれません」

ばあちゃんの様子を見てみると、さっきまで変わった様子はなかったのに、呼吸が荒い。
私は自分の脈が速くなるのがわかった。
そして地に足が付いていないような、フワフワした変な感じがした。

慌てて両親に電話をし、近くにいる親類を呼んでもらう。

ばあちゃんのそばで手を握ると、目が開いた。見ている。
「ばあちゃん、頑張って!みんなもうすぐ来るから!」と繰り返す。

みんなが来るまでの時間がとてもとても長く感じた。

11時過ぎて姉、叔母、両親と次々やってきた。みな息をのんで見守っている。
ばあちゃんはこれが最後と分かっているのか、目をしっかり開けて皆の顔を見ている。

そして、11時50分、
「あぁぁ…」と何か言いたげな声をばあちゃんは出した。
そして首をひねって私のほうを見て、大きく一回息を吸って、

ゆっくり、止まった。

もう次の呼吸はいつまで待っても始まらなかった。

私は言葉にならない何かを叫んだ。
首を大きく振った。拒否するように。
息をしてくれないばあちゃんを受け入れることができなかった。

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ふたりで銭湯に行ったね。階段が多くて嫌だと言ってたけど、
湯船に浸かっている時の顔、気持ち良さそうだったなぁ。

昨秋、私の新しく買った来たばっかりのジムニーの助手席に、
一番最初に乗ったのはばあちゃんだったね。
「乗りたい」なんて言うからびっくりしたよ。

駆除してもらった蜂の巣の幼虫が美味そうだと言ったり
私のサーフボードを「ふね」と呼んだり
モンブランを私の分まで食べたいと言ったり。


わがままで、口が悪くて、意地悪で、嫌いだった。
好奇心があってひょうきんで、働き者で、私のことを理解してくれていて、好きだった。

さようなら。
ばあちゃん。

category: ばあちゃんとの日々

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ばあちゃんの死について想うこと・3  

去年の7月、ばあちゃんは入院した。
ちょうど日記でばあちゃんとの生活を記録し始めたときだった。

思い返すと入院が一つのきっかけとなっていたような気がする。
あれ以降ばあちゃんの認知症は急激に進んでいった。

両親と私は介護が大変になるにつれ、イライラが募っていった。
言うこときかないばあちゃんに怒鳴ったり、知らんぷりしたりした。
そんな中親戚になにか言われたときに都合が悪いからと、
日々の介護の記録をノートにつけることにしたのだ。ばあちゃんがどれだけ大変かを。
ノートは結局2冊にわたり、最後の一ヵ月は書く余裕がないほど皆疲労していた。

こないだ4月の介護度認定再調査の結果は、
皮肉にもばあちゃんが最後に入院していた時に来た。介護度は最高レベルの5。
ここ2~3か月はそれだけ大変な状況だったのだ。

そのノートは葬儀が終わってから、結婚して家を出たきょうだいに見せることができた。
皆ため息をつき、「大変だったんだね。。手伝えなくてごめんね。」と言った。
今ではその記録が、ばあちゃんとの貴重な思い出だと思い大事にとってある。

記録には書けなかったけれど、最後の入院の前の数週間、
夜ばあちゃんはうなされるように亡くなった叔父とじいちゃんを呼んでいた。
そのたびに辛かったしどう答えたらいいか迷った。

亡くなった叔父は私の父の弟だった。自殺だった。
母であるばあちゃんの悲しみは相当なものだったらしい。
母屋のリフォームの関係で片付け時、叔父の持ち物や写真が当時のまま、出てきた。
飲みかけの薬や運転免許まで。私はそれを見て息が詰まった。

今ごろ、ばあちゃんは待ち望んだ叔父とじいちゃんとの再会を果たしているはず。

つづく


<余談>
叔父がスキーや山が好きだったとは聞いたことがあったけど、
アルパインクライミングをしていたことは知らなかった。
ハーケンやアブミなんかもあったから。
それに谷川や北岳バットレス、厚木の広沢寺や鷹取での登攀中の写真も。びっくりした。
それを知らずに私はフリークライミングをしていたんだと思うと、
叔父の想いが私にそういう選択をさせたんだとしか考えられない。

category: ばあちゃんとの日々

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ばあちゃんの死について想うこと・2  

ばあちゃんは昔の人間だから、
「夕飯は家族そろって・早い時間に」と思ってる人だった。

だから両親が仕事で遅いとしつこく「電話して呼べ」と私に言いつけた。
仕事だから仕方ないでしょう、と言っても
「なんの仕事があるか知らないけど、いい加減にしないものか」
などと言い全くわかろうとしてくれなかった。

なんだか妙にかたくなだし、こっちの言うことがまったく伝わらなくて
ちょっと気になったのを覚えている。

ずっとやっていた日本舞踊もばあちゃんはいつの間にか行かなくなってた。
後から考えると、振りを覚えられなくなっていたんだと思う。
以前は練習のため、私に踊りのカセットテープを再生してくれとよく頼んでいたのに、
たまに座敷でポロンポロンと弾いていた大正琴も全く触らなくなっていた。

そのうち気のせいだと思っていた症状が気持ちに反して徐々に顕著になった。

両親の職場の電話番号をすぐ忘れるからと壁に直接マーカーで書いていた。
出かける時間の何時間も前から準備をして、まだかと周りを急かした。
直売所に出すフキの本数はいくら言ってもバラバラだった。
私を違うきょうだいの名前で呼ぶことも出てきた。指摘するとハッとしていた。

尿臭を感じ、言いにくかったけど「下着替えたほうがいいよ」ってそっと言うこともあった。
昼のテレビの通販に吸水パッド付きの下着があって、私は隠れて電話して手渡した。

仕事を始め、私がアトリエで作業をするようになると
ばあちゃんは辛いはずの階段をやっと上がってきて、
ドアを「こんにちは」と開け入ってきた。まるで友達を訪ねる時のように少し仰々しく。
私はそのたびにコーヒーを入れたりしたけれど、そのうち鬱陶しくなって邪険にした。

もしかしたら心細かったのかもしれない。
どんどん弱っていく自分の身体に加え、頭の中の違和感。
そういえば「おばあさん頭がおかしくなっちまった」って悲しそうにつぶやいていた。
いつも周りにはたくさんの家族がいた生活から、いつも留守番の毎日へ変化し。

自分を侵食していく老化に、ひとりでは立ち向かう勇気がなかったんだろう。。

つづく

category: ばあちゃんとの日々

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ばあちゃんの死について想うこと  

ばあちゃんのいた生活が終わった。

今、いろんな想いが交錯している。
ばあちゃんと過ごした日々のこと、小さい頃の思い出、
認知症が進行してからの時間。
そして最後のとき。

気持ちをどこへ持って行ったらいいのか戸惑っている。



ばあちゃんとの一番最初の記憶は、麦踏みだった。
私を背中におんぶして、ばあちゃんは足踏みするように麦を踏んでいた。
足踏みするたびに程よく揺れて心地よかったのを覚えている。
麦は踏めば踏むほど強くなる、って言いながら。
あれは私がいくつの時だろう。

ばあちゃんは口が悪かった。
そのせいで母とは仲が悪かった。
母は時々泣きながら私たち子供に愚痴をこぼした。
私はその時間がとても嫌だった。なぜ仲良くできないのだろうといつも思った。
ばあちゃんはばあちゃんで母が居ないところで文句を言った。
そのせいで私たちきょうだいは、ばあちゃんがあまり好きではなかった。
そして子供ながらに家の中の空気がピリピリしているのがよくわかり、
いつも大人の顔色を窺いながら過ごしていた。

きょうだいが大きくなるにつれ、そんなばあちゃんには皆、冷たく当たることが多かった。
私はそれをなんとなく気の毒に思い、
せめて自分は母とばあちゃんのクッションになろうとして悩んだ。
小学生程度の子供がうまく間に入れるわけないのに。

そのうち母は同居に耐えられなくなり、私たちは母の実家の近くで生活し、
その間にばあちゃんの家に別棟を建て二世帯で生活することにしたのだった。

やがて私も大学生になり、いつの間にか、ばあちゃんと適度な距離ができていた。
口は相変わらず悪かったけど、流せるようになっていた。
じいちゃんが死んじゃってからはばあちゃんはさらにまるくなったみたいだった。

家にいたきょうだいもひとり、またひとり結婚し家を出て、大学を卒業し定職についていなかった私は必然的にばあちゃんの面倒をみる時間が多くなった。
加えて始めた事業で両親は忙しく、夕飯は私とばあちゃんの二人だけということも。

そのころから私はばあちゃんの衰えが気になりだしたのだった。

つづく

category: ばあちゃんとの日々

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やっと  

昨日告別式と初七日の法要を終えた。
ばあちゃんは乾いた音のする乳白色の骨の集まりになった。

まだ実感がわかないけれど、
私なりのばあちゃんの死への想いを、少しづつまとめていけたらと思う。

category: ばあちゃんとの日々

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5月15日  

ばあちゃんは家に帰ってきた。
触れたばあちゃんの顔の、冷たさにビクッとなって思わず手を引っ込めた。

私はまだばあちゃんの顔を直視することができない。

category: ばあちゃんとの日々

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5月14日  

5月14日午後23時50分、ばあちゃんはじいちゃんのところへ行ってしまった。

category: ばあちゃんとの日々

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髪切った  

今日思い立って美容室に行って髪を切った。

久しぶりのショートカット。

半年振りだったからかなり伸びてた。スッキリした!
明日ばあちゃんに見せよう。

category: 日々のこと

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無題  

ここんとこ、家族の存在についてよく考える。
それから自分の人生とか、一生の短さとか。

私は33歳になる。
ついこないだまで大学生だった気がするけど、それはもう10年以上前のこと。
卒業して10年。子供だったら産まれてもう5年生か。

ばあちゃんは88になる。私と55しか違わないんだなぁ。
10年があっという間なんだからわたしだってきっとすぐ80歳になっちゃうんだろう。

その短い中で、家族ってどんな意味があるだろう。

子供を産んで、育て、そしてあっという間におばさん、おばあさんになる。
世代がやがて交代し、順繰りに、形を少しずつ変えながら。
やがて忘れられ、風化してくんだ。

うちの中を片付けていて古ーーーい写真が出てきて、
誰だかわからないものもたくさん。

意外とあっけないものなんだろうな、ひとりの人間の一生って。

category: ばあちゃんとの日々

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ペース掴めず  

ばあちゃんが入院して2週間が過ぎた。
朝のバタバタがなくなり、野菜の袋詰めを一緒にやることもない。
自分のペースで仕事ができるはずなんだけど。

どうも虚無感に襲われる。
家の中が静かすぎて怖い時がある。
必死さがなくなり自分が怠けているような気がする。

ばあちゃんは今日も頑張っている。
口の中をカラカラにして大きく口を開けて息をしている。
昔の人は本当に生命力がある。
私たちなんかよりずっと歩いているし自然なものを食べてきているんだものね。

ばあちゃんの顔色はとても良くて肌ツヤもある。うらやましい。
今でもただ寝ているだけなんじゃないかって思う。
ゆすれば起きそうな気がしている。

category: ばあちゃんとの日々

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カレー  

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ばあちゃんはずいぶん頑張っている。
無呼吸の時はあるけど、しっかり自分で呼吸している。
けれど相変わらず反応はない。

今日はshimaちゃんと茅ヶ崎の鉄砲通りにあるインドカレー屋へ行った。
パクチーがたくさん入ってて嬉しい。
おいしかった。

category: おでかけ

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連休は無し  

5連休は普通に仕事。

どこにも出かけていない。

ばあちゃんのことがあるからすすんで出かける気にもならない。

世間の浮かれ具合がなんだか恨めしい。

category: 日々のこと

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4/29千曲川ボルダー  

ばあちゃんの様子が安定していたのと、
叔母や母のすすめもあって日帰りで出かけてきた。
行先は佐久。去年のロクスノに紹介されていた千曲川ボルダー。
一緒に行ったのは相方と横パン常連のかっちゃん。
みんな初めてだからまったくわからない。

こんな狭い吊り橋を渡った。
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これは「ハカリ岩」。
下地が岩盤でその上にのっかったような感じになっている。
私はこの岩の6・4・3・3級を登った。
かっちゃんはここの1級と隣の寛平岩の「ヤマメ」「ヤマメダイレクト」初/2段をあっさり。
相方も「ヤマメダイレクト」完登!よかったねぇ。
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こんなのどかな風景のなか三角岩へ移動。気分がいい。

藪(枯れすすき)がひどいアプローチをこなし到着。
課題は6・2・2段。もちろん6級だけ登る。
あとは全然触られてない岩だから苔っぽくかっちゃんは苦労してた。

六時半まで登って終了。日に焼けたなぁ。。

category:

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4月30日  

リフォーム費用融資の件のゴタゴタはようやく先が見え、
先生の意見と家族の意向を考慮した結果、今日ばあちゃんの呼吸器をはずした。

先生の意見としては、呼吸器をずっとつけていると自力で呼吸するための筋肉が衰えてしまうということ、管や痰を取るときの傷で肺炎を起こしてしまうことが心配。
そしてばあちゃん自身の呼吸は機械に頼らずとも安定傾向であると。

私たち家族の意見は、はずしてしまって容体が急変してもそれは受け入れ、
再び呼吸器をつけたりすることは望まないということ。

午前中に行われたはずす作業には両親、叔母、私、弟の奥さんと姪が立ち会った。

わずらわしい管が外れて、ばあちゃんは穏やかに見えた。
ぐうぐうイビキをかいている。

みんなで「よかったね。」って笑った。
一応今夜は叔母が付き添いで泊まっている。

category: ばあちゃんとの日々

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